第35回初島ダブルハンドレース INDICUM参戦レポート
2023年6月24日(土)am7:00に逗子沖でスタートが切られた第35回初島ダブルハンドレース。
<クラスC>3位入賞を果たしたINDICUMの艇長である鈴木 裕介さんより参戦レポートが届きましたのでご紹介いたします。
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文・写真:鈴木 裕介
初島ダブルハンドレースは面白い。逗子から初島を回り戻ってくる45マイルのちょっとした冒険レース。過去には40ft艇でクルーとして3回、INDICUMではスキッパーとして2回ほど出場したことのある馴染みのレース。2023年は自艇INDICUMにてJOSA Sailorの守屋さんと共に挑戦した。
・インディカムの成り立ち
この船は2014年に取得し私が代表を務めるチームだ。艇種はツボイIMS950。
私自身は父の影響でセーリングが身近にある環境で育ったものの、本格的にレースにのめり込んだのは社会人になり数年がたった2008~2009年ごろ、当時24、5歳だった。キールボートで活動を始めた。当時は古くから油壷を拠点とするBitter End(Swan40当時は船名はVOALNS)でクルージングやクラブレースに参加していたが、徐々にもっと本格的にレースをやりたいと思い始めていた。そんな折り元々活動していたBitter Endがパールレースに出ることになりベイサイドマリーナで活動している数名が乗り込んだ。その時に、初島ダブルハンド常連のPASTIME2 のオナーメンバーである石下さんと出会った。石下さんは自身の船の活動と並行して仲村さん率いるSAVAGEチームで活動しており、今度遊びに来ない?との誘いに飛びついた。SAVAGEチームでの活動は刺激的だった。海外レースを含めた幅広い経験を持つ中村さんを中心に、470、スナイプのスペシャリストからクルーザー乗りまで揃っている。年齢も若く、参加当時は平均年齢20代。参加初回のレースは初日でクビにならないか緊張しながら参加したのを憶えている。葉山マリーナでNSTフリートレースを中心に時折マッチレースやロングレースにも参加し、バウマンとしてレースのイロハを教わった。それぞれライフステージも変わり活動は当時ほど盛んではないが、時にはPASTIME2の飯田オーナーの支援も受けながら今でも定期的にレースを楽しんでいる。私のセーリング歴を語るうえで、SAVAGEチームの存在は絶対に欠かせないのだ。
話を戻すと、SAVEGEチームでの活動も数年がたちそれなりにクルーとして動けるようになってきた頃船を買う話しが浮上した。当時、Bitter Endグループと付き合いが深く隣に停泊していた“げんよう”(Alpege)という船を一時管理していた。この船は私が物心つくころからかわいがってくれていた篠原さんが所有していたが、亡くなった後引き取り手がなく使わせて頂いていたのだ。この時、Bitter Endで一緒に活動し、SAVAGEチームへも同時期に合流した宮内さんとセーリングに熱中していたため自分たちで自由に乗れる船ができたことを大いに喜んだ。船は古くレース出場は厳しい状況だったが夕方のセーリングは最高だった。せっかく船があるのだからと私の友人に声をかけると興味を示してくれた。ヨット経験はないけれども、一緒に整備やデイセーリングを楽しみ、保田クルージングなどにも出かけ少しずつ船を出すことに慣れていった。そんな折、2014年初め頃に大阪で売り出し中の中古艇情報が入り購入する運びとなった。当時はまだ若く知識もお金も乏しい。セーラーの先輩でもある父に技術的、金銭的に力を借りた。こうしてついにレース艇を手に入れることができ、INDICUMと命名。レースへの活動を開始した。
INDICUMのメンバーは同世代、ヨット経験なしのメンバーが中心となって活動を始めた。当時メンバーは20代から30代前半。すでに高齢化が進んでいたヨット界では若い方だ。特にそういう決め事をしたわけではないが、経験/未経験を問わず興味を示してくれた友人を誘い込み教えながら自分自身も勉強していこう、という流れで進んでいった。そうして数年活動していく中で、伊東レースのようなお祭りレースから始まり、湘南レースを通して上下レースでも走れるくらいにチームも成長した。その後、私含め子育て世代真っ只中に突入し、2019年はメンバー3人の家庭にひと月おきに子供が生まれるなどと嬉しい偶然も重なった。2020年以降はコロナの影響も重なり自然と活動は少なくなっていった。
それでも2020年、2021年にはSAVAGE チームと合同で小網代カップに挑戦し、私自身も外洋レーススキッパーとして経験を積んだ。
こうした活動の中で初島ダブルハンドもINDICUMのイベントの一つとして過去には宮内さんとタッグを組み数度出場、2018年は20kt程度の風とこの季節にしてはタフな状況のなか走り切りクラス優勝も果たした。
・守屋さんとの出会い
守屋さんとは2021年2月に北九州で開催されたサバイバルトレーニングで出会った。
この時期、貴帆がファストネットレースに出場する計画がありクルーを募集しているという情報が入った。憧れのレース。挑戦したいと思った。2018年沖縄、2019年小笠原にBitter endでご一緒したテティスの児玉さんの後押しが大きかったのだと思っているが、北田さんを紹介頂き動き出すこととなった。レースの準備としてサバイバルトレーニングの受講が必須だったがJOSA主催の講習で認定を受けられることになり参加する流れとなった。
この時受講生は私含め4名だったが、その1人が守屋さんだった。守屋さんは当時ミックスダブルスへの挑戦を目標にヨーロッパでの活動を計画するなど見かけによらずアクティブなヨット女子だ。守屋さんは大阪、私は関東と活動拠点も異なることもあり連絡先交換くらいでこの時は別れた。
この年、守屋さんは予定通りフランスへ飛び立ったが、私はというとファストネットの出場を見送った。まだコロナが世界中で猛威を振るっており、入出国時の隔離期間を考えると8月をまるまる1か月、もしかしたらそれ以上休む必要があった。仕事も出張が必要な案件もいくつか抱えておりどうしようもなく、泣く泣く断念をした。一方、ヨーロッパ遠征に向かった守屋さんも活動を苦戦していたようで、当初の予定を変更してファストネットに出場し、私は家からYoutubeのライブ配信でスタートを見守った。
守屋さんが帰国後、秋に一度mini貴帆で一緒に半日ほどセーリングできる機会があったがそれ以上の接点はないまま時が過ぎた。
・2022年初島DHへの挑戦
2022年の春、ダブルハンドに出たいと思いついたものの、過去に一緒に出場した宮内さん含めINDICUMメンバーは難しそうだ。誰に声をかけようかと考え始めた時、真っ先に守屋さんに連絡しようと思った。サバトレ以来ほとんど接点はなかったが、一緒に何かをやってみたいという思いは持っていた。ただ住まいが大阪だと聞いていたのでダメ元で連絡をしてみると快諾してくれた。しかも転職し神奈川に住んでいるというではないか。守屋さんは既に関東でセーリング活動を始めていたこともあり練習、準備スケジュールはタイトだったがとにかく出場に向け動き始めることになった。
レース準備は5、6月に集中して行った。船の準備は過去にも出場しており直近で小網代カップなどのレースにも出ていたのでほぼ問題ない。それでも練習日数は限られていたため2人でスムーズにセーリングできるように練習あるのみだ。
守屋さんとの連携はスムーズだった。若くして30ft艇の共同オーナーでもあり、何より大学では外洋系ヨット部でクルーザーレースに精通している。それでもダブルハンドはまた一味違う。何があってもすべてを2人で乗り切らないといけない。そんなダブルハンドもサバトレを一緒に受講し、ファストネットレースも乗り切った守屋さんは一緒に乗る仲間として実に頼もしい。
セールチェンジ、スピンの取り扱い、リーフなど手順を確認しながら進め、なかなか連携もスムーズになってきた。守屋さんの探求心とストイックな練習スタイルは凄まじく、スピンジャイブは納得するまで「もう一回お願いします!」と積極的。楽しく充実した練習だった。直前にマスト上部のジブハリ用シープが壊れるなどのトラブルもあったがなんどか整備を間に合わせ準備万端、あとは本番を迎えるだけ。しかしながら、この年は残念ながら荒天予報によりレース前日にレースがキャンセルとなってしまった。
・2023年の再挑戦
その後、守屋さんとは夏に油壷でのセーリングやサバトレスタッフとして一緒になる機会があった。ダブルハンドに再チャレンジしたいとはお互い考えてていたため、2023年、再びチャレンジすることになった。この年はコロナもだいぶ影を潜め、レースをはじめとした様々な活動が戻ってきていた。そのためGW前後、私は小笠原レース、守屋さんはオーシャンスプリングフェスティバル(蒲郡⇒八丈島⇒横浜)とお互いオフショアレースを控え初島ダブルハンドの準備は5月以降となった。一方、INDICUMは燃料系のトラブルを抱えており修理が連休明けにずれ混んだ関係で、結局ダブルハンドの準備開始は残り1カ月を切っていた。
6月に入り1年ぶりに2人でセーリングをしたが、前年に練習をしていたおかげで最初からかなりスムーズだった。去年よりも息があってきた気がする。ジャイブもいい感じ!荒天時の手順確認やヒーブツーの練習などもしつつ2日間と限られた練習日数で無駄なく準備を進めた。そしていよいよレース前日。今年は開催できそうだ。しかし予報は風がない…。
・いよいよレース
初島ダブルハンドは逗子マリーナ沖を朝7時にスタート。エンジンが弱いINDICUMは油壷から回航も1時間半以上かかるため5時には出航する必要がある。そのため金曜夜に合流しビターエンドハウスで前泊だ。しかし私は蚊に悩まされほぼ寝れずに起床時間を迎えることに…
空が白んでくる4時から準備し出航。この年70艇以上がエントリーしており、油壷界隈からの参加艇も多い。朝靄のなかレース艇団がスタート海面に向かう様はなかなか絵になるものだ。顔見知りのチームと声を掛け合い互いに健闘を誓う。ダブルハンドという特性上、フルクルーのレースよりライバルとは言えでも艇同士の連帯感があると個人的には思っており、これもこのレースの魅力なのだ。
この日は予報通り微風。スタート海面まではほぼ無風な状況で長い1日になることを覚悟する。幸いスタート海面ではスタート時間までに風が入ってきて7、8kt程度の北東の風を受けながらのスピンスタートだ。スタートラインは長く、東側のアウターマークと西側の本部艇側どちらからスタートするか。マーク側を選択する方がやや多いか。我々は両艇団の真中からやや西側艇団よりにスタートを切った。スタート直後にスピンアップ、スターボードタックで南下していく。風弱くある程度上らないと走れない。恒例の真鶴方向だ。昼から南が入る予報ではあったのと真鶴の無風帯に捕まりたくない。初島に付近の潮流にも注意だ。スピンネーカー仕様ということもありジェネカー艇ほど上らず、かといってセールへのプレッシャーが抜けないよう慎重に船を進める。そのまましばらくは5kt前後の艇速で先行艇団になるべくついていけるよう、そして風があるうちに少しでも南下できるように艇速低下に注意しながらのセーリングを続ける。しかしスタートから3時間も経たないうちに風がかなり弱まりなんとか走れている程度の状態に。初島との中間地点を前にして艇速0~1kt。スピンも風を孕まずパタパタ状態。ここで私は前日の寝不足が祟って睡魔の限界に。舵とシートを守屋さんに託しデッキ上で少し休憩。その間も守屋さんは他艇の動きに目を光らせ少しの風も逃すまいとセールトリム。この粘り強やと集中力は守屋さんを見習うべき多くの事の1つだ。そんなこんなで1時間ほど動きがない状態が続いたが、西側艇団から風を掴み大きくゲインし前に出始めた。その後徐々に艇団全体にも南よりの風が入り始めてジブセールにチェンジし走り始める。ヘディングが真鶴沖コースのためしばらく走った後タックし一旦沖出し。このあたりでも同クラスの船は常に視認できる状態のため、先行艇の動きに気を配りつつ、ライバル艇との位置関係にも注意しながら慎重にコースを選定していく。風は予報通り南西が入り始めたものの不安定。初島アプローチには依然東に出さないといけないため初島手前はブローに合わせてタックしながらシフトする風に合わせてレイラインを狙っていく。14時半、後続のライバル艇とはなんとか位置関係をキープしたまま初島を回航。ここで一旦先行している船とも距離が縮まる。初島西側は浅瀬がありいつもどこまで近づけるかハラハラするが、今年もすぐ前を一回り大きい船が走っていたため小回りで回航してく。海図上では単独なら入り込まない水深表記だ。
その後は10kt弱の風をうけ、コースもスピン艇には上り気味だがなんとかフィニッシュに向けられる1本コース。ここでの大逆転は期待できないが、夕方風がパタッと止む予報のためリミットに間に合うよう、また後続艇に差を縮められないようセールトリムに集中するのみ。そんなこと考えていると前に見覚えのある船型。同クラスタでレーティングも近いVEGA7だ。圧倒的に早いだろうと予測していたHorizonに食らいつこうと走り、スマホでヨットを見る限りでは2番手と思っていたため少し焦る。データ、目視で得られる情報では3番手だ。やれることはとにかく前に少しでも迫り、後続艇を引き離すのみだ。少し風速が上がるとスピントリムもきつくなるのでヘルムを守屋さんと交代し船を進める。中間くらいまでは風が安定していたため順調にすすんだ。残り10マイルちょっと、このままいけば後2時間くらいで明るいうちにフィニッシュできるね、などと話していたが徐々に風が落ち始める。弱まる風と落ちる艇速。いくら走っても計算上は残り2時間。予報では暗くなると風はなくなるためリミットがいよいよ迫ってくる。
17時台はさらに風が落ち低速も3kt前後、さらに後続艇はいい風が入っているようでどんどん迫ってくる。かといって先行するVEGA7も近づけない。そしてこのまま風が落ちればフィニッシュは絶望的。どうしようもない状況の中我慢のセーリングを強いられた。
幸いこの後少し風が戻り心地よい速度で走り始めた。1マイルほど後ろの後続集団艇はまだ風が入っていないようだ。再び引き離し一気にフィニッシュへ。夜の逗子沖フィニッシュは街の明かりと本部艇のライトが重なりフィニッシュラインを見つけるのが困難。さらに本部艇のポジションはスタートから変わらないとされていたが明らかにその方向にはなにもない。先行艇も元ポジションに向かう船とその西側、風向で言うと風下側に向かう船とで分かれている。近づくにつれてどうやら風下側にフィニッシュがありそうだ。ようやっとフィニッシュラインも視認できほぼ無駄なくフィニッシュラインにアプローチできた。
そして19時38分、遂にフィニッシュラインを切った。一時はタイムリミットに間に合うかと思ったほどの風だったためまずはフィニッシュできてほっとした。先行艇を逆転できない時間差なのは明白だったが後続艇はうまく引き離せたようだ。結果に期待が膨らむ。
フィニッシュ後はさらに風が落ち、全艇フィニッシュできず成立しないクラスがあるほど微風に悩まされたレースだった。自艇も不安定な風の中、艇団も近い状況が続いたレースだったため気が抜けない展開だった。でも疲れはしていたが、達成感で満ちていた。特に前年はレースが中止となりチャレンジを断念しただけにフィニッシュできて本当に嬉しい。
フィニッシュ後はまた2時間近くかけて油壷への回航だが、守屋さんと共に充実感に満ちた夜の航海となった。油壷に戻りクラブハウスで一息つく頃には暫定結果が発表され3位入賞と嬉しい結果。2人でお祝いの乾杯。疲れはしていたが、達成感に満ち溢れた本当に心地いい時間だった。翌日は船を片付けた後、妻と子も合流し逗子マリーナでの表彰式へ。参加艇とも交流を深め、入賞の盾も受け取り楽しい時間を過ごし、レースの全日程が終わった。
初島ダブルハンドはいつもちょっとした冒険だ。45マイルと距離は短いが、2人で準備、練習を重ね走り切る達成感は他のレースとはまた違った醍醐味がある。今回のレース内容は気が抜けない状況が続いたが、守屋さんと力を合わせて走り切れたことは私の貴重な経験だ。今回は縁あって守屋さんと出場でき本当に楽しかった。2021年のサバトレで一緒になったときには一緒にダブルハンドをやるとは思ってもみなかった。その後時々イベントを共にする中で一緒に乗りたいと思うようになり実現したのだ。またタイミングあれば一緒に活動したい。私自身もまだまだ学ぶべきことが多いが、将来、守屋さんも若いセーラーを連れて挑戦する機会に繋がれば嬉しい。4月の小笠原レースに続き充実したレースとなったが、今後もさらなる挑戦を続けていきたい。
2024/11/12
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