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2017-11-25

志賀翔太氏「Les Sables–Horta–Les Sables」往路

「1270マイルがもたらす共鳴 若武者、外洋レースを走る」

Kazi 12月号掲載
記:志賀翔太

Les Sables – Horta – Les Sables

レーススタート前 <貴帆>にて (左)北田さん (右)筆者


7月2日(1日目)

Les Sables – Horta – Les Sables スタートの日。

ロリアンでジャンコーチンと1週間練習し、おおよそ船と計器の扱いは身に付けることができた。そして今回のスキッパーはトランザットを完走し、他にも様々な外洋レースを経験している北田さんである。そのためレースには大きな不安を持つことなく臨むことができた。むしろいい順位を取ってやろうという気持ちまであった。

しかし、その慢心はレースが始まってすぐへし折られることとなる。
スタートから第3マークまでは中盤あたりの順位を走れていたが、その後の自分のスピンアップの動作でミスをしてしまい、体制を立て直したときにはすでに最下位から3番目に順位を落としてしまう。外洋へ向けて走り出した後も、しばらくヘディングと走りが定まらずようやく余裕が出てきた頃には順位はほぼ最下位となっていた。北田さんは何度も「まだ1日目だから分からないよ」と言ってくれ、いくらか気持ちは楽になったが、人生初の外洋レースはとても明るいとはいえない気持ちで初日を終えた。

スタート時、海上から見えた景色


7月3日(2日目)
前日の夜から風が落ち、艇団は微風の中を走る。ここから各艇は北か南のどちらへ向かうか決断を迫られる。南へ進みスペイン沖(特に北西の角となっている地域の周辺は強い風が吹くことで有名)の風を掴むか、北へ進み低気圧の風を取りに行くか、どちらか決めなければ、中途半端な風の中を走ることになり、確実に順位は落ちてしまう。
昼を過ぎ、すでに半数以上の艇が南へ消えていった後も私たちは進路を決められずにいた。船内にいる北田さんに呼ばれ、二人でパソコンに向き合う。パソコンに入っているソフトウェアでは、気象予報の情報を使ってフィニッシュラインまでの最適なルートを計算してくれる。今回は北へ向かうコースが推奨されていたこと、先行艇と距離があり、同じルートを行っても逆転することが難しいことから、私たちは北へ向かうことを決断した。
その時の北田さんが言った「これは二人で相談して決めたことだから、共同責任だな」という言葉が印象に残っている。交代で休憩していたため、デッキには一人でいることが多くシングルハンドみたいだなと思っていたが、この言葉で「今ダブルハンドをやっているんだな」という実感が湧いてきた。このときから、北田さんに対して気兼ねなく、相談や提案ができるようになってきたと思う。


7月4日(3日目)
予報どおり風速は上がってきて、朝は15~20ノット、夕方には20~25ノットの風が吹き、大きなうねりにも乗りながら快調にランニングを走る。自分たちが選択したコースは間違っていなかったようで一安心。
夜になると、突然ぱったりと風がやみ、周囲の雲行きも怪しくなってきた。風が吹き上がることを考慮して、急いでスピンを下ろし、ジブに張り替える。
しばらくすると強い風が吹き出し、遠くでは雷も鳴っている。これはマズイと近くに見える晴れ間へ急いで向かう。遠くから見ると天国のように美しい景色の晴れ間は危険なようにも見えたが、それでも雷よりはましだよなと考えそちらへ向かう。雲を抜け晴れ間へ出ると、案の定40ノットを超える風が吹き荒れていた。3ポイントリーフをして対処し、雷雲を背にひたすら西へ逃げていく。この夜は休む間もなかった。

 

7月5日(4日目)
なんとか悪天候から脱出した後、再びスピンをあげてダウンウウィンドを走る。昨日私たちが走った海面を天気図で確認すると、等圧線の間に小さい低気圧ができていたようだ。通りであんな天気になっていたのだと納得した。しかし、昨日の晴れ間は低気圧の中心だった思うと、自分の判断は正しかったのかと疑問に思ってしまう。
この日は一日中晴天で、風も途切れることなく平和に終わった。船上での生活にも余裕が出てきたため、食事や睡眠もしっかりとることができた。スタートしてからは数日は、時間や気持ちの面で余裕がなく、陸上チームが買ってきてくれたサンドウィッチやフルーツ、差し入れのお握りを食べて過ごしていた。手軽に食べられる物は非常にありがたかった。サポートしてくれている方たちのありがたみを感じる。

 

7月6日(5日目)
昨日から順調に航程を消化している。
一方南へ向かった船団の中で4、5艇がポルトガル沖で微風帯に捕まって足止めを喰らっているらしい。おかげで暫定順位が12位まで上がった。北へ向かった判断は正しかったようだ。ここから順位を落とさず、チャンスがあれば先行艇に追いつきたい。

 

7月7日(6日目)
お昼ごろ、風を掴むために北上していたところ、微風帯につかまってしまった。天気も良く、風が吹きあがりそうな気配もない、風速は2~4ノット程で、風向も定まらず船を走らせることができない。風速が5ノット以上ないとオートパイロットはうまく船を走らせることができないため、自分で舵を持ったほうがよい。とジャンコーチに教わったのを思い出し、船を走らせる。
しばらくこの微風と格闘し、なんとか船が走り出したが、風は相変わらず弱く我慢の時間が続いた。

20時ごろ、風速は10~12ノット。ジブでタイトリーチを走りながら南西へ進む。今後30ノットまで風が上がる予報なので、予めステイスルをファーリングした状態でスタンバイする。

 

7月8日(7日目)
昨日の夜からアップウィンドに近い角度で走っているため、船が海に叩きつけられるように揺れる。
しかし、ワッチオフでボンクネット(ベッド)に入ると激しい揺れにも関わらず、すんなりと寝れてしまった。

起きてからは、20~25ノットの強風の中をアップウィンドで走り続ける。外に出れば波は被るし、揺れが激しくトイレや食事をするにも一苦労だ。今頃リーチングで快走しているはずだったが、現実は完全に向かい風である。
自分にとって今回のレースにおける最も辛い時間だった。

「20ノット以下はそよ風だよ」と言っていた北田さんの言葉の真意が良く分かった。自分もあれだけ冷静に動けるようになりたいと思った。

 

7月9日(8日目)
午後4時ごろ、アゾレス諸島が見えてきた。長~いアップウィンドもようやく終わり、スピンを張りダウンウィンドで残りの航程を消化していく。がんばって北に向かっていたおかげで後続艇より良い風の中を走れている。
今日中にフィニッシュすることは難しそうだが、このまま行けば12位となる。
レース序盤の出遅れや、タイムリミットを心配していたのが懐かしいと思えるくらい、良い状況だ。フィニッシュラインへのアプローチに備えて、余裕のあるうちに腹ごしらえをした。貴帆に積んであるフリーズドライの食事は、日本食も洋食も美味しく、味噌汁まであるのでレース中にも関わらず食事に関して物足りないと感じることはなかった。


7月10日(9日目)

テルセイラ島、サンジョルジェ島の間を抜けて、オルタ島が見えてきた。後ろには約4マイルまで距離をつめてきている艇がいて、大きなミスは許されない状況だったにも関わらず、ジャイブでトラブルがあり、スピンがツイストしてしまう。
北田さんの判断でツイストしたスピンを下ろし、代わりにジェネカーを張る。トラブルの間に少し差をつめられたが、残りの航程を見ても逃げ切れる距離だ。ジェネカーではパワーが物足りないが我慢して走らせる。

今回のレースでは、フィニッシュまで残り5マイル、または30分前になった時、VHF無線でその旨をレース委員会に伝えなければならない。北田さんに無線係を任され、英語でレース委員会の方と会話をした。無事連絡が終わり「I’m waiting for you.」と言われたときは、フィニッシュが近づいていることを実感し、嬉しくなった。
さらにフィニッシュラインに近づくと、ゴムボート3隻が先ほどの言葉通り出迎えてくれた。貴帆はライトで照らされ、指笛が鳴り、写真を沢山撮ってもらえた。この瞬間は自分の人生でも忘れられない思い出になりそうだ。とても感動したのだが、ゴムボートに囲まれライトで照らされる状況に動揺して、なかなかフィニッシュラインを見つけることができず、危うくフィニッシュブイの横を通り過ぎるところだった。直前でようやくブイを見つけることができ、無事フィニッシュ。後続艇に抜かれることもなかった。着順は12位、レース序盤に比べればだいぶ追い上げた。ちょっと悔しさもあるけれど、それよりも完走できたことの満足感が大きかった。

ジャンコーチとパトリッツィアさんもゴムボートに乗っていたようで、エンジンのチェックが終わった後、貴帆に乗り込み、おめでとうと言ってくれた。自分のことのように喜んでくれていたのが本当に嬉しかった。
そしてポンツーンに着くと、レース委員会の方々と先に到着したセイラー達が私たちを迎えてくれた。とても暖かい雰囲気で、北田さん曰く「この暖かさはclass40レースの大きな魅力」らしい。


フィニッシュ後

フィニッシュ翌日には復路のコースキッパーである西村さんとお会いした。
西村さんは大学のOBで3年前にお会いして以来だったが、こんな素晴らしい形で再会できるとは思っても見なかった。何より無事フィニッシュしてバトンを渡すことができて良かった。

写真:左から 筆者・北田さん・西村さん・パトリッィアさん・ジャンコーチ

次のレグのスタートまでは中3日あり、その間に往路表彰式やバーベキュー、オルタ島内バスツアーなどがあり、様々な人たちと交流する機会があった。やはりセイラーたちはヨットの話を頻繁にしていて、復路の風の予報やお互いの活動について話していた。国内でのレースでは海外のセイラーと会うことはほぼ無いのでとても貴重な機会だった。そして英語の重要性を改めて思い知ることとなった。


往路表彰式

 

今回のレースに参加できたのは、JORAの支援によるものです。
北田さんをはじめ、JORAにご支援いただいた皆様、JORA陸上スタッフの皆様、関係者の方々には本当に感謝しています。今回のレースで学び、味わった様々なものを自分の糧として、今後も自分の目標へ向けてしっかりと活動して行きたいと思います。

オルタ島にて 志賀翔太

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