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2019-08-22

「はらたけしの……海道をゆく」Vol.2

7月12日トランスパックのスタート直前、私がT.J.Vの相棒に決まったと北さんからメールが入った。
正直言って私はホッとした。なにせ私は3年前に向島に骨を埋めるつもりで始めた店Cabo de Hornosを畳んだわけだから……。

今年のトランスパックは25ノットを超えるとても強い貿易風に恵まれ、高速のダウンウィンドが続いた。8日間あまりの航海の間私は存分にLady Kanon6の舵を持ってサーフィングを楽しんだ。 そして21日の未明に無事ダイヤモンドヘッド沖のフィニッシュブイを通り抜けた。幾つかのパーティーをやり過ごして身体が陸に適応し始めた頃、本格的にT.J.V.のスタートへの時計が動き出していた。

T.J.V.は1993年に第1回のレースが開催されて以来、2年に1度行われてきたダブルハンドレースの最高峰である。
ソロやダブルハンドによる外洋レースが国民的なスポーツのひとつであるフランスにおいてはセイラーにとって憧れのレースでもある。そんなレースにコ・スキッパーという名前をいただいて、北さんと二人で日本人として初めて参加できることは大変な名誉である。つくづく、私は運のいい男である……。

それにしても、このレースが初めて開催された年は私がTOKIOで参加したWhitbread 世界一周レースのスタートした年であること、そしてフィニッシュする港がブラジルであること、に因縁を感じる。
ブラジルといえばTOKIOが断然の総合トップでスタートした第5レグにおいてディスマストして緊急入港したのがサントスの港で、その後ジュリーリグでヴィトーリアという港に移動してニュージーランドから届けられた新しいマストのセクションを48時間の不眠不休で立ち上げ再スタートした場所だった。
当時、総合タイムのみで争われた世界一周レースではディスマストはイコール敗北を意味した。だから私にとってブラジルとはサッカーをしていた時代は憧れの国であったけれど、26年前には入らざるべくして入った国だった。

今回のT.J.V.のフィニッシュ地点はブラジルの最初の首都であり、サンバが生まれた場所として知っていたサルヴァドールである。私としては、TOKIOで味わった悔しさを払拭して、このレースを出来る限りの充足感と共にこのブラジルの古都に上陸を果たしたいと思っている。

レースはMulti50とImoca60とClass40の3つのカテゴリーに分かれていて、現在、Class40には 28チーム 56名のエントリーが発表されている。

年齢で言えば、私たちは最も高齢で北➕原=111歳であるが、それを111%のパフォーマンスに変えて、少しでも大西洋の猛者たちを驚かせてやりたいものだ。
この大会HPに発表されたメンバーの一人として、気がつけば “オジサン” と呼ばれる年齢の一人として、そして外洋レースに魅せられた日本人の一人として、存分にこのレースを楽しみたい。
https://www.transatjacquesvabre.org/en/skippers/class40

今、私はハワイヨットクラブのバーカウンターでマジックアイランドの向こうに沈んでいく夕陽を眺めながら、ビスケー湾の悪い波や、赤道無風帯ドルジュラムや、南半球の貿易風や、サンバの太鼓の響きを思い浮かべながら心臓の鼓動を感じている。それはまるで、カウントダウンの音であるかのようだった……。

2019.7.28. ハワイヨットクラブ於

TAKESHI HARA

原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。

はらたけしの……海道をゆく

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