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2019-10-13

「はらたけしの……海道をゆく」Vol.4

ヘミングウェイが通い、その作中にも登場した「Cafe IRUÑA」

ヘミングウェイが通い、その作中にも登場した「Cafe IRUÑA」

以前、何かで読んだか誰かから聞いたか忘れたが、B級と呼ばれたり2流と呼ばれる文学作品ほど舞台となった土地の文化や伝統や時代の現実を伝えているものだ、という言葉を聞いてなるほどな、と膝を打った。

その時代、その土地でしかわからない特殊性がそういう呼び名を生む理由なのだろう。あまり好きではない言葉だが”B級グルメ”や”B級映画”にも通じる感覚ではないか…。マニアにはウケるが万人の認めるところでないもの……。逆を言えば、名作と呼ばれる作品は時代や土地の文化に関係なく、所謂”普遍性”があるために、いつ誰がどこで何語で読んでも、なるほど!……私と同じ!……という感覚に落ちるわけである。

  私にも、私が思う…と思っているが実は他の多くの人にとっても…名作があり何年にも渡って何度も読み返す本がある。大抵は表紙などは何処かにいっていしまい、ヨレヨレで赤茶けてしまっているが、何度引っ越しても捨てられない。

  その中の一冊にヘミングウェイの処女長編「日はまた昇る」がある。まだ20代半ばの彼がパリで新聞記者をしながら短編を書き始めていた頃に、実際の体験をもとに書かれた小説である。

その舞台はパリからボルドーを経由してフレンチバスクのバイヨンヌからスペイン国境を抜けてパンプローナの”牛追い祭り”の期間を中心に描かれている。

勿論、誰もが知る名作の内容をここで私の陳腐な言葉で披露する必要はないので止めておくが、私はいつかこの舞台となった地を旅してみたいと願っていた。

そして今回、パリでT.J.V.のオープニングレセプションの後、準備が始まるまでの期間が10日間空いたので、その願いが叶ったのだ!なにしろ舞台はロリアンの南でそんなに遠くないのだから……。

  バスと電車で巡った旅は、美しいバスク地方の自然と美味しいピンチョスと古くて静かな街並みの連続だった。100年前にヘミングウェイが辿ったと思われる場所がほぼそのままの形で残っているというのは、やはり石で出来た街や建造物の懐の深さを感じ、ひとりで嬉々としウットリしほくそ笑んだ…。

フィエスタの時期ではなかったので追体験とまではいかなかったが、その代わりに念願だったリーガエスパニョーラを観戦できたりして(アトレティコ・ビルバオVSアラベスのバスクダービーと乾が出場したエイバルVSセビージャ‼️)、ヘミングウェイが当時感じたスペイン人の”アフィシオン”の欠片を私も感じることができた。このような突発的で無計画な旅が時として出来ることも、私にとっては海外のヨットレースを楽しむ中の大切な要素なのである。

  9月28日にロリアンに戻って、本格的に準備が始まった。

La Baseの貴帆

La Baseの貴帆

ロリアンという港街は静かな場所である。第2次世界大戦でドイツ軍に占領されて潜水艦の造船所となったドックが今も残るその場所が「La Base」と呼ばれ、ラ・トリニテ・シュメールと並んでフランス外洋ヨット、それもソロやダブルハンドに特化したヨットの聖地となっている。大戦末期にはロリアン奪還のための連合国軍の集中爆撃で街はほぼ壊滅したのだが、ドイツ軍が作ったこの造船所だけは後世の記憶のために残されたという。今では国内外から多くの観光客が訪れる。

お馴染みエリック・タバルリーのモンタージュアート

ドックの大きな壁にはフランス外洋ヨットの新旧2大レジェンド、エリック・タバリーとフランク・カマの肖像画が数え切れないセイラーたちのモンタージュアートで描かれている。また岸壁にはこれまで偉業を成し遂げた外洋レースのレジェンドたちの写真も飾られており、ポンツーンを見渡せば、Mini 6.5 、Figaro 、Class40、IMOCA60、そして巨大なマルチハルにいたるまで、当たり前のように舫われている。そんな、日本人から見れば非日常が日常となっている”La Base” に私の目もだいぶ慣れてきた。

 

  さて……、では我々のチーム「貴帆」のメンバーを少し紹介してみよう。

  まずはスキッパーであり、チームのボスである青森県出身の実業家、言わずと知れた北田浩である。「お前が好きだと、耳元で言った……」あのヒロシではない。5年という短い期間で、フランスの外洋シングルハンドレースの世界に単身飛び込んで道を切り開いてきた、ツワモノのヒロシである。

  その彼と現在のClass 40 「貴帆」が造船中にフランスで知り合い、以来彼と2人3脚で歩んできたスーパーな通訳であり秘書でもあるパトリツィア ・ゾッティはイタリアのアドリア海に面した港街レッチェ出身の女性である。彼女はイタリア語の他に英語、日本語、フランス語、スペイン語を駆使する言語学者でもある。日本の奈良県の大学にも留学、勤務した経験を持つ通訳を通り越したマルチ言語オペレーターである。彼女自身もセイラーであるが、夫リッカルドはイタリアの外洋ヨットのトップレーサーというあまりに出来すぎたスタッフなのだ。

  こちらでは”テクニシャン”と呼ばれるボートの管理責任者であるもう一人のスタッフはフランス人のジュリアン・ ルブラノ ラヴァデラ(Julien Lubrano Lavadera)である。彼は中東アジアの UAEで10歳まで生まれ育った。その後各国を放浪したりタイの造船所で働いたりした経験を持ち、日本の合気道を習い、クロサワ映画を愛し、タイの前国王を尊敬するという物静かな男で、ヒッピーの香りがプンプンする。英語が話せる彼と初対面の時、「俺の本名はタケシというんだが、ケンの方が覚えやすいよね?」と言ったら「いやいや、ムシューキタノと同じだからタケシでいいじゃん」という彼の一言で私の呼び名は本来の名前 ハラ タケシに30年ぶりに戻ったのである……。

  そしてもう一人、現在……日本においては住所不定無職のハラタケシこと私である。そして今、「貴帆」のコ・スキッパー兼人足として歳も外聞も忘れて、大西洋横断レースに頭を支配されている次第である……。

  あと一週間ほどのテストセイリングとレース準備が済めば、スタートの地、ル・アーブルへ「貴帆」を回航する。18日からル・アーブルではレースヴィレッジが開いて10日間に渡って10万人近い人々が訪れるという……。

  季節は秋が進んで、北風は一段寒さのスロットルを上げた。風の密度も増してきている。そして台風並みの低気圧が5日に一度の割合でブルターニュ半島をかすめてゆく……。

 カウントダウンの時計の音が心なしか大きくなってきているようだ……。

貴帆のスキッパーとコ・スキッパー

貴帆のスキッパーとコ・スキッパー

日本人二人フランスからブラジルへ

日本人二人フランスからブラジルへ

2019.10.5.      Appartements à Lorient. 於

TAKESHI  HARA

原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。

はらたけしの……海道をゆく

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