「はらたけしの……海道をゆく」Vol.6
先週末、参加スキッパーへのウェルカムディナーが開催された。そこにはコ・スキッパーと呼んでいただける私も含まれていたのでご相伴にあずかった。会場であるル・アーブル市庁舎を目指してグーグルに連れていってもらうと建物の正面には立派な文字で「HOTEL DE VILLE」と書いてあった。
しかしそこは間違いなくホテルではなく市庁舎だったのだ。香港で⚪️⚪️飯店に飯食いにいったらホテルだった、のと逆の知らなかった常識といったところか……。
まあ、入ってみると階段にはレッドカーペットが敷き詰められていて立派な建物だったが、私を含めて招待客は皆ジーパンにチームジャケットを辛うじて羽織った潮くさい連中であることは言うまでもない……。
なんとなくシャンパンを飲み始めなんとなくテーブルについてフルコースの食事が始まると、いかにもという風情の市長さんとスポンサーのエライ人から簡単な挨拶があって、食べ終わった人からじゃあね、という感じで皆帰っていった……。
その食事のテーブルは何も指定がなかったから早めに着いた私たちが適当に座っていると、比較的小綺麗なチームシャツを着て上品で控え目な笑顔を湛えた二人が同じテーブルの席に着いた。
パトリツィアの通訳と、お互いのカタコトした英語で会話を進めていくと、彼らは私たちと同じClass40にエントリーしている「A CHACUM SON EVEREST」のメンバーで他の多くの参加艇が大小様々なスポンサーを抱えてプロフェッショナルとして参加している中、珍しいアマチュアセイラーということだった。
それも2人は兄弟で、兄であるスキッパーのイヴはコマーシャルディレクター、コ・スキッパー弟のルノーは弁護士で、このレースのために2年間準備をして、約ひと月の休暇を取って、自腹でClass40をチャーターしての参加ということだ。10月1日から禁酒までしているという……。
それに2人はライフワークとして癌を患った子供たちが回復できた時に、モン・ブランで有名なシャモニーの山々を登ってもらおう、というキャンペーンを展開しているという。
艇名の「A CHACUM SON EVEREST」というのは「それぞれのエベレストに…」という意味で、その子供たちを勇気付ける意味を込めている。そして「今、オレたちにとってのエベレストは勿論ジャックヴァーヴルだよね!」と2人は顔を向き合って笑った。その笑顔は心の底から人生を、ヨットを、楽しんでいる人の美しいものだった……。
3月の終わりにこのレースに出たいと思い始めて早くも半年。もう明日にはスタート海面に出ようとしている。
何故わたしは自分の店を畳んでまでこのレースに出たいと思ったのだろうか……。
それはやはり、新しいことに魅力を感じたからであるな。それは2人乗りのレースということだ。
2という数字は大変微妙である。ひとりとは大違いだ。困難に直面した時の心強さは倍増するだろう。しかし同時に複数の始まり、コミュニケーションの始まり、揉め事の始まりでもある…。結婚したことのある人なら頷いてくれるだろうか…。
フルクルーでのヨットレースが全てであった私にとっては、その心地よさと同時に難しさも経験してきたので、ソロ以外の最小人数であるこのダブルハンドレースに強い魅力を感じたのである。簡単に言えば、人付き合いが苦手な私にとって、丁度いいレースなんではないかと……。必要な時は2人で力を合わせ、それ以外はほとんど一人の時間を海の上で、ヨットの上で満喫しながらレースが出来る、そんないい話はない、と思ったわけである。
ましてや相方はヨットのオーナーで自艇を知り尽くし、大西洋の海を2度ソロのレースで渡っているセイラーである。 我々の仕事の分担は明確である。基本的に3時間ずつの操船とウォッチでオンとオフを繰り返すことの他に、何か問題が生じたり整備が必要な場合は私は主にデッキから上……つまりバウの先端からマストトップまで、北田スキッパーはデッキから下……ナビゲーションからエンジンその他諸々、船底に至るまでを担当する。
食事は完全に各自で自由に、というスタイルで全てフリーズドライだ。食事に必要なものはガスボンベとナベが一体化している湯沸かし機材ひとつである。それがジンバルに乗っかっていていつもゆらゆらしている。フランス製のフリーズドライは塩分控えめで栄養バランスよく出来ている。さすが、という味だ。そこにカップヌードル少々…。コーヒー、紅茶、お菓子が口直し程度。
それにしても、何につけても、準備するのが2人分だけでいいというのは楽なものである。そして何人にも決まり事を念押しすることがない。しかし、ソロでのレースが主だった北田スキッパーにとっては2人分というのがとても多く感じているようだが……。
余談であるが、Class40の参加メンバーを調べたところ、やはり2人合わせての最高齢は我らが「貴帆」チームの111歳あることが判明した!
第2位は「TERRE EXOTIQUE」の109歳、ちなみに「A CHACUM SON EVEREST」はイヴが52歳、ルノーが46歳で98歳の若僧である。
また、最年少はポンツーンで隣に停まっていた「E.LECLERC」で20歳と21歳の若者で41歳!そいつら毎日可愛い彼女を連れてきていたな……。
そしてなんと、個人では62歳が最高齢で、次いで60歳がいて、56歳の私が3番目に年寄りであることも明るみに出た……。
これは何も歳でエクスキューズを匂わしているのではなく、これだけ広い年齢層のセイラーが、夢を抱いて長いこと準備してエネルギーを費やすだけのレースであることを紹介したいからである。
やはりヨーロッパ人にとってはコロンブスの時代以来、まずは西へ向かって”大西洋を横断する“ということ、それは未知への好奇心と野心を焚きつけて止まない、何ものにも代えがたい誘惑的な魅力を持っているに違いない。
スタートまで24時間を切って、ああでもない、こうでもない、といつものようにこの4、5日に渡って囁かれていた天気予報が絞り込まれてきたようだ。ヨーロッパ大陸の北にいる高気圧が頑張って、大西洋にいる大きくて凶暴な低気圧に待ったをかけてくれているおかげで、スタートは珍しく北東のいい風でダウンウィンドになりそうだ。
ブルターニュ半島を超えたらすぐにジャイブしてリーチングとなり東から南と前に振れていく風の中をなるべく早く難所であるビスケー湾を一気に抜けて貿易風が待つジブラルタル海峡の南へと出たいものである。まあ、そう上手くはいかないが……。
明日、10月27日は私にとって新しい挑戦の船出である。船出は未知の誕生であり祝いでもある。もちろんレースであるけれど、その前に自分との問答でもある。楽をしたい、妥協したい、怖い、眠い、痛い、寒い、暑い…こととの闘いでもある。
そして母なる海は油断や奢りや虚栄を見逃さない、許さない。しかし、陸の上では決して味わうことのできない類の生を実感させてくれる。一期一会の刹那の連続が待っている。
26年ぶりに、今の私にとっての”エベレスト登山”が始まる。 楽しいことがいつか終わるように、辛いこともいつかは終わる。終わらないのは終わること……。 それではみなさん、いってきます。 次はブラジルから……フランスから……日本から……どこになるか、いつになるかわからないけれど、またお便りいたします。
2019.10.26. Au restaurant de l’hôtel Mercure 於
TAKESHI HARA
原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。
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