「はらたけしの……海道をゆく」Vol.5
“テクニシャン”のジュリアンは、なかなかのもの知りである。ヨットのことは別にしても、映画や料理やアートや音楽だけでなく、様々な国の文化や人間像について浅くない知識や見解を持っている。
中東で生まれて色々な国に行ったり仕事をしたりしたからだけでなく、祖父がイタリアのカプリ島近くの小さな島出身で祖母がルクセンブルクというアルプスの小国出身というルーツも少なからず関係しているように思われる。
そこに、言語学者にして翻訳家で5ヶ国語を自由に操るパトリツィアが加わると、英語、フランス語、イタリア語、日本語が飛び交いながら昼飯時やコーヒータイムはあっという間に過ぎてゆくのである。
そんなジュリアンの解説によれば、ブルターニュの人々のルーツはブリトン人…つまりグレートブリテンから渡ってきた人々なので、独立したひとつの国という意識がフランスの中で特に強いという。
スペインで言うならバスクやカタルーニャの感覚に近いらしい。16世紀、フランス王国とブルターニュ公国の平和維持のために政略結婚をしてフランス王妃となったアンヌ・ド・ブルターニュとその娘でやはりフランス王妃となるクロードのおかげでブルターニュの名物である海水から製造される塩に対して税を撤廃させたという歴史があり、そのため今でもブルターニュ産の塩は世界に広く知られているのだという……。
確かにロリアンのレストランで食べる料理は塩梅が良いし、バターが殊の外美味しく感じられる。また、日曜日には教会の鐘の音以外によく何処からかバグパイプの音色が聞こえてくるし、イギリス風のバーが少なくなくてビールを飲む人が多いし、雨はやたらと降るし……私が勝手にいだいていたフランス感を覆された。
10月13日、予定より早くロリアンに別れを告げてル・アーブルへと回航に出発した。目まぐるしく変わるブルターニュの天候の隙間をついて最も安全に、レースする海域をチェックしながら約300マイルを移動するピンポイントの出航だった。
長い時間をかけてたった一発の勝負に挑む場合、準備の後半は艇にダメージを与えないことが最重要課題となるからだ。それは老いた二人の乗組員にも同じことが言えるのであるが……。
ほぼ2日間の回航はとても盛りだくさんだった。ブルターニュ特有の霧雨が降りしきる中でのスタートから、ブレスト沖に到達すると次第に天候が回復して日没の頃には水平線間際の雲に大きな裂傷が出来て、私の記憶の中でも10本の指に入る美しい夕焼けに出逢うことができた。
おまけにイルカが3家族ぐらい現れて、まるで私たちをエスコートしてくれるように翌朝近くのまで7時間にわたって戯れていた。
ブルターニュ半島の北側に回りこむと風が落ちて機走となったが、世界で最も潮流の強く干満差が最大で12mもあるという英仏海峡に入った。そして次のウェイポイントであるコタンタン半島を目指してノルマンディ諸島に差し掛かるころには向い潮が7ノットを超えた!しかし運良く南西の追い風が強まって辛うじて前へと進み続けた。11ノットのボートスピードが出ていても対地速度が3ノットしか出ていないというのはなかなか味わえない。潮で艇体が押し戻されているのが体感できて、改めてこの6時間毎に展開される天国と地獄、飴と鞭、上り坂と下り坂をどう読み切ってセイリングするか、この海域の難しさを痛感したのだった。
しかし、雨が降ったり止んだりを繰り返していた灰色の空が、強まってきた南西の風の力で吹き飛ばされて、夜になると満月が現れ、北の空の常連である北斗七星とオリオン座の挨拶を受けて、おまけに緑色の鮮やかな閃光を放ちながら落下する巨大な箒星にまでお目にかかった……。
そして明け方シェルブール沖を通りかかり、若かりし日のカトリーヌ・ド・ヌーブを思い出し、俯瞰のカメラに映る雨傘たちが動くオープニングのメロディを鼻歌しながらなんとなく納得出来た……シェルブールには雨傘が必要なんだと……。
お昼過ぎにル・アーブルのマリーナに無事着岸した。そしてボス北田が大切に保管しておいた「山崎」のボトルが開き、ひっそりと二人で乾杯をして杯を傾けた。また一歩レースのスタートに近づいたわけであるから……。
その後、日が暮れてから、私にとって人生初の水門「ロック」を通ってレースヴィレッジに入港した。
その舞台はイベント会場としてパリのレセプション同様に手慣れた人々によってで用意され、”する人”と”観る人”と”お金を出す人”と”応援する人”が皆、満足出来るような環境が創り上げられようとしていた。しかし……当たり前のことだけど……我々二人を含めて全ての”する人”側の本当のイベント会場は海にある。
きっとこれから残りの数日間は、早くこのお祭り騒ぎを終えて海に出たいという願望を込めたカウントダウンになってくるはずだ。そして、26年前のウィットブレッドのスタートでサウスハンプトンの港を出る時もそうだったように、舫いロープを解く瞬間には心地の良い開放感に包まれることだろうか……。
今日ヴィレッジオープンから2日が過ぎた週末、会場はものすごい人出でごった返していた。一昨日から猛烈に吹き続いていた50ノットを超えるゲールがやっと収まった夕方、部屋の窓から見える西の空には再び見惚れるような夕焼けが広がっていた。
さあ……、下北半島と会津盆地からやってきた”オヤジ”と呼ばれる微妙な年頃の男二人による赤道越えの大西洋横断という冒険へのスタートはもうすぐである……。
2019.10.19. Hotel Mercure au Le Havre 於
TAKESHI HARA
原健(はら たけし) この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。
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