「はらたけしの……海道をゆく」Vol.7(最終回)
10月27日朝の9:30、舫いロープを解く瞬間、26年前のような開放感は訪れなかった……。
それは私の感情が鈍ってしまったからだろうか、それは年を重ねたということであろうか…。
手を振って送り出してくれる人たちに私も手を振りながら、まるでこれから先の4500マイルが45マイル先であるかのように不安も興奮も訪れなかった。やっとヨットレースができる喜びしかなかった。
スタート直前までVHF通信の通訳のために乗ってくれたジュリアンに「スタートまで3時間半もあるぜ…」と私が言ったところ、「あっという間だよ…」と彼が答えた。そうだよな……、ビッグレースの前はいくら時間があっても足りなく感じたはずだった。それが今はそう感じない。やはり私は良くも悪しくも慣れてしまったのか……。
スタートラインは変則的で、真ん中にコミッティボートである軍用艦が鎮座して、西側にIMOCA60とMULTI50のスタートライン、東側にCLASS40のスタートラインが設置され、同時にスタートするというものだった。
そして13:15、北東の順風でスタートのガンが鳴った。スタートの舵を任された私は潮の関係で岸寄りのスターボードエンドが有利と聞いていたから、空いているだろうと思われるコミッティボートの側からセイフティなスタートを試みた。そして余った時間をなんとか潰して、俗に言う”シモイチ”からジャストのスタートを切った。
暫くはトップ艇団を帆走っているかのように見えたが、左へ伸ばしながらしつこく付いてくる風上後方の数艇と一進一退を繰り返している間にタックして右へと戻る機会を失って、気がつけば早い段階で岸に寄せていたトップ艇団は遥か前方にいて大差がついていた。そして、10マイルほど先の最初のターニングマークである、風光明媚な石灰岩の岸壁が連なるエトラテ沖のブイを回る頃にはブービーの位置まで順位を下げていた……。
気を取り直してフルサイズのジェネカーを上げた頃にはバウの先に赤い夕焼け空が広がっていた。そして3時間ごとのウォッチが始まって、長い長いブラジルを目指す旅が始まったのだった。
しかし、そこからKIHOは快調に帆走り始めた。そして陽が落ちるまでに2艇に追いつき、徐々に順位を上げていった。最初のウェイポイントであるシェルブールがあるコタンタン半島をかわす頃から風が上がり始め、時折20ノットを超え始めた。そして、ブルターニュ半島先端沖にある航行禁止区域の北を回るか南を回るかという選択に迫られた。ポジションレポートでは先行する艇団はほとんど南側を通ってブルターニュ半島を最短コースで通るコースを引いていたため、とにかく必死にその先行集団に喰らいついていこうと我々も南のコースを選択して最初のジャイブを行った。
暫くすると風は次第に強まってきた。そして時折25ノットのTWSを表示するようになった。そこで、ワンサイズ小さい、35ノットぐらいまで対応可能なミディアムジェネカーにチェンジした。そしてメインにはワンポイントリーフが入り艇はより安定した。その後、予報通り風は北東から東に振れ始め、KIHOはますますスピードを上げていった。
ソロやダブルハンドのレースではフルクルーのレース以上に、スピードを追求すると同時にセイルを含めたハードウェアを破損というリスクから遠ざけなければならない。何故なら破損した場合の復旧にはとてつもない時間と労力がかかるからだ。ましてや、搭載出来るセイルが極端に少ないCLASS40においては、ダウンウィンドジェネカーはフルサイズとミディアムのたった2枚だけなのだ……。しかしそれがこのクラスを面白いものにしている要因でもある。セイリングスキルにプラスして使うセイルのマネージメントも大きな比重を占めるからだ。
私がウォッチオフとなって30分ほど経ってからであったか…。
夢うつつの耳にセイルのシバーリングする音が聴こえてきた。そして、「セイルが破けた!!…」という悪夢のような声がした……。
急いでデッキに上がると、ミディアムジェネカーは何箇所かに渡って裂けていた。私はすぐにバウに行って回収のためのスナッファラインを引いたところ運良く降りてきてくれた。しかし、セイルはタックとリーチと本体の3つに完全に引き裂かれており、かろうじてボルトロープだけで繋がっていた……。
なんとか回収を終えて、とりあえずソレント(フランスではヘッドステイで展開するフルサイズのジブセイルをこう呼ぶ)を展開してバウをウェイポイントに向けた頃には、風がコンスタントに30ノットを超え始めていた。もちろん艇速は激減したものの、前に振れ始めた風と激しく不規則な大波のために次のオプションであるフラクショナルのリーチングジェネカーへのチェンジは待つこととなった。
夜が明けてからも風の強さはアップダウンを繰り返しながらも東へ東へと回っていった。それに従ってメインは2ポイントリーフとなり、ボートスピードは少しづつ上がり始めた。そして午後になってその日最初のポジションレポートが入った。クラストップ艇との差は60マイルに広がっていた…。しかし、1艇がディスマストしてリタイアしておりKIHOの順位は20位に上がっていた。最初のターニングマークから6つ順位を上げていたということだ。
その後、北田スキッパーは破損したジェネカーのチェックにキャビンに降りた。暫くしてデッキに上がってきた時の顔には深い落胆と疲労がにじんでいた。彼によればジェネカーはほぼ修復不可能ということだった。
アフリカ大陸に差し掛かって貿易風圏に入ってから強い貿易風を受けてダウンウィンドで大きくブラジルに向けて前進するというセオリーを考えれば、ミディアムジェネカーの損失は計り知れないほどの痛手だった。
「ロリアンに帰ろうと思う……何故ならミディアムなしでこのままレースを続ければタイムリミットにかかってしまうからだ……」
一瞬耳を疑ったが、それは冗談でもなんでもなく、まるで棋士が長考の後に指した一手のように真剣だったのだ。
「私はあなたの決定に従います」私はそう答えるだけだった。
栄光を得ればそれは全てスキッパーのものとなるのと同時に、全ての責任とリスクを背負わされているのもスキッパーである。だからこそ、海の上において、ヨットの上においてはスキッパーの権限は全てを凌駕して、彼の言葉は最も重いものであり、最後のものであるのだ……。
風は25ノットほどに落ちていたものの、降りしきるブルターニュらしい小粒の雨の中新しいウェイポイントであるヘディング110度のロリアンに向けようとすると、風が許さなかった。何故なら、TWDを見れば110度と表示されていたのだった……。
それから長い長い30時間が始まった。容赦のないビスケー湾の悪波の中を上り続けタックを繰り返した。身も心もクタクタになった頃、嘘のように風が落ちて波も消えていた……。そして右手前方に、淡い灯台の光が新月の闇夜に浮かびはじめた。徐々にその光力を増してくると、4回のフラッシュだった。ロリアン沖にあるグロア島の灯台だ。どんどん近づいていくと森の匂いがしてきた。陸の生命の匂いである。いつもの帰還であれば最も安心と歓びを与えてくれる匂いである……。そして右に緑左に赤の航路ブイを進んでいくと、LA BASEのドックが見えてきた。しかしその夜、私の目にはそのドックが黄泉の国にあるであろう神殿に見えたのだった……。
陸に戻って2日目の午後にロリアンの桟橋で、KIHO以外にリタイアした数艇のスキッパーたちと会って言葉を交わした。キールを損傷し、肩を脱臼し、マストを失い、航海計器を全損し……無念の帰還をしたはずの彼らの顔には暗い影が落ちていたものの確かな光も差していた。もちろん、その後姿には悔しさがあり、背負っていた荷の重さは感じたものの、皆の目は次を見据えているのだ。彼らにとってのTransat Jacques Vabre 2019は終わりを告げたのだが、大西洋へ、そして南氷洋への挑戦という夢と希望は決して終わらないのだ。
スタートする前よりも少しだけ彼らを身近に感じながら、私の中で何か、言葉にも形にもできない何か、が生まれてきていた……。
11月1日の今夜、久しぶりに1人で前にも何度か行ったことのあるロリアンのバーへ向かった。スタート1週間前から禁酒して臨み、ロリアン帰港後は飲む気にもならなかったビールが身に染み入った……。
考えれてみれば、もし私が向島の店を続けていたら今日で3周年となっていた。運命の悪戯とは予測不可能だ。1年前、まさか今夜このバーで飲んでいるなど夢にも思わなかった。だからこそ人生とは面白いのだが……。
今ごろ、大西洋上で貿易風圏に入って快調なダウンウィンドを帆走り始めたであろう参加艇スキッパーたちの顔を思い浮かべ健闘と安全な航海を祈りながら、あまりに早く陸に戻ってきて風来者に戻ってしまった自分を揶揄いながら、そして短い期間ながら気のおけない友人となったパトリツィアとジュリアンとの出会いに感謝しながら、最後に飲んだアルマニャックから出てきた酒の精と話をしている。今夜の話は尽きなくなりそうだ……。
呂律が回らなくなる前に、この言葉の旅を終わりにしよう……。
でも……、私の旅はまだまだこれから先も続いてゆく。
追伸
結果的には、お互いに不完全燃焼で不本意なものとなった今回の挑戦ではあったけれど、この素晴らしいヨットレースという冒険と、それに関わる多くの魅力的な人々に会わせてくれた北田氏に感謝をいたします。ありがとうございました……。
2019.11.1. Smart Apart au Rorient 於
TAKESHI HARA
原健(はら たけし)
この度、Transat Jacques Vabre 2019(フランス〜ブラジル4500マイルをダブルハンド)に北田氏とダブルハンドで参戦することが決まりました。これを機に「はらたけしの…..海道をゆく」と題してコラムを連載しております。ぜひお楽しみ下さい。
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