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2023-08-06

【Thetis-4】第64回パールレース参戦記

7月27日に三重県五ヶ所湾をスタートした第64回パールレース。IRC-クラスCとORCクラス優勝(昨年の第63回に続く二連覇!)を飾られたThetis-4の児玉艇長からレポートが届きました。


文・写真:児玉萬平氏

IRCクラスC CHITA杯を掲げる。
左から児玉艇長、伊藤氏(ヘルムス、シェフ)、高木氏(ワッチキャプテン)
IRCクラスC CHITA杯を掲げる。 左から児玉艇長、伊藤氏(ヘルムス、シェフ)、高木氏(ワッチキャプテン)

第64回パールレース2023に参戦した。

本年は7月27日スタート、コースは五ヶ所→利島→江ノ島の180マイル、参加艇54艇の夏の一大イベントだ。艇としても個人としても何回目の参加なのかはもはや定かではないが、参加しない理由が見つからない「日本人にとってのコメ」のような、パールに出なければ外洋ヨット乗りとは言えない、そんな当たり前のレースと言っていいだろう。 私の最初のパールレースは、1968年の第9回大会(当時は鳥羽パールレース)だった。未だ何も知らないヨットを始めたばかりの学生クルーだった私にとって、台風の接近による荒天により全艇DNF、複数の遭難、というこの大会は強烈な印象を残した。その後の55年、全てではないけれど、それこそ当たり前の様に参加してきたパールレースではあるが、各回それぞれの思い出を残してきた。そして今回64回大会も一緒に走ったメンバーのお陰で思い出に残る大会にすることが出来た。

回航

ホームポートからスタートの五ヶ所までの回航は、私の個人的な事情で、昨年に引き続き直前回航とした。メンバーは児玉、伊藤、伊藤夫人、ジェフ(日本人的オーストラリア人)橘田(かおり、ヨット部後輩)金子(千葉大4年生)の6名、昨年の回航では南西風30ktの中、ずぶ濡れになり、船酔いに苦しみながら向かったが、今年は打って変わって、穏やかな南風の中を日よけのオーニングを張って機走で西に向かう。おかげで冷蔵庫、製氷機をフル稼働でき、冷たい飲料やフルーツ、おまけに夕刻にはオンザロックを楽しむことができた。下田でショートストップ、食事と買い物をしてから的矢に向かう。昼の暑さを避け、満天の星空を眺めながらの夜の回航は天国だ。ただこれがレースであったら地獄だなあ、と思いつつ・・。

的矢は渡鹿野島に泊まり、ゆっくりと温泉を楽しむ。漁船がいない、渡船の発着場しかない港なので安心して泊まれる。的矢湾は古代からの避難港、江戸時代以降は千石船の避泊地として賑わった。そして渡鹿野島はそれらの水主相手のお女郎さんの拠点だった。私の学生時代(昭和40年代)はまだその名残りのそれらしいネオン街があったが、現在は温泉ホテルしかなく、健全なファミリーリゾートに変わっている。

的矢湾
的矢湾

五ヶ所

五ヶ所にはレース前日の朝に入港した。今年は例年お世話になっていたホテルの予約が取れず、紹介された民宿も一杯、仕方なく宇治山田のビジネスホテルを予約し、レンタカー移動を余儀なくされた。レース当日のレンタカーの返却が最後まで残った課題であったが、回航に参加してくれた橘田さんが当日まで残り、返却ドライバーを引き受けてくれたことであっけなく解決した。しかし、そうでなかったら最悪の場合レースメンバーの一人が犠牲になるところだった。今後、五ヶ所を拠点で続けるのなら、圧倒的に不足している宿泊施設、事実上無いと言える交通手段の問題解決はパールレースの継続と発展のためにはどうしてもクリアーしなければならない課題となってきている。

艇長会議に続いて行われた安全講習会では、新艇「HARUKA4」の加藤先生(JOSAメンバー)から「熱中症予防」についての講義があった。この炎天下に日にさらされ続けるリスクはもちろん理解している積りだが・・講習の最後に加藤先生から一言「まさかビールを飲んでレースする人はいませんよね?飲酒は絶対避けてください」と、ドキッ!2ケース積んじゃったよ。例年通り冷蔵庫の底に保冷剤と称して缶ビールを敷き詰めたところだった。レース当初は先生の忠告に従って遠慮していたが、日が落ちたところで、たまらず艇長特権を発揮、それでもデッキ下に隠れてプシュッ!と行かせてもらった。

艇長会議終了後は、昨年から地元の飲み屋を貸し切り、勝手に前夜祭を開催している。今年は、以前からの遊び仲間カリプソ(大阪北港YC)のメンバーが加わり、2艇で大いに飲み、カラオケを熱唱して盛り上がった。この状態を翌日まで引きずらないで済んだのは、この後、宇治山田ホテル泊組と艇泊まり組に分かれざるを得なかったからだ。もっとも艇泊組は船上二次会に流れたけれども・・。

勝手に前夜祭
勝手に前夜祭

スタート

バラバラのルーティング予想
バラバラのルーティング予想

スタートの朝、気象ルーティングの最新情報をダウンロードした。なんと、スタート前数時間になっても未だ6つの気象モデルが収斂せずバラバラのコースが示されていた。これでは全く参考にならない、取り敢えずプロパーコースを選択することにし、風の変化と経験に照らしてコースを修正することにした。

レースクルーは児玉(艇長)以下、伊藤(ヘルムス、シェフ)、高木(ワッチキャプテン)、藤村ノブ(フローター)、ジェフ(オーストラリア製バラスト)のテティス・オリジナルメンバーと毎回ロングレースに参加してくれる、長(沖縄サクラティヤーモ・スキッパー)、鎌田(浦安スパロー、オーナー)、テティスクルー研修中の金子(千葉大4年生)の8名。このメンバーをA/Bに分け3時間ごとのワッチとした。ヘルムスはワッチの中で調整、概ね1時間ごとに交代した。

微風・長時間のレースを想定して、清水を左右のタンクに130ℓずつ、合計260ℓ搭載し、必要に応じてシャワーも浴びられるようにした。またリタイヤした場合、最遠地点からでも機走で戻って来られる様、軽油もほぼ満タン(100ℓ)とした。

スタート前のブリーフィング
スタート前のブリーフィング

レンタカーを返却する任務を負った橘田さんに見送られながらポンツーンを離れ、スタート地点に向かう。風は予報通りSE6kt、一番苦手な微風の上りだ。苦手克服のために小笠原レースから使い始めたフライング・ジェノアをファーラーにセットしアウターマーク付近からスタートを切った。スタート後すぐにファーラーを解きセールを引き込むと、角度は他艇より落ちるもののスピードは伸びる。そのまま左海面に伸ばし、落とされる風のシフトを待つ。例年はこのシフトが入るのだが、なんと今年は逆に上り始めてしまった。慌ててタックを返したが、更に30°もシフトして後の祭り、結局最後尾艇団で仮想マークを回航することになった。

最後尾集団で仮想マークを回航する(矢印)
最後尾集団で仮想マークを回航する(矢印)

追走

まだ先は長い、昨年も最後尾から逆転しORC優勝を果たした経験があるので、その再現を期して先行艇を追う。風は予報に反してSSE10kt前後まで上がってきて、スターボードデッキに重量級のジェフが移動し重量を集中させると、フライング・ジェノアのスイートスポットにハマったのか快走し始め、一艇また一艇と抜き返していく。

フライングジェノアの走り
フライングジェノアの走り

それにしても暑い、雲一つない夏空の太陽が容赦なく我々を照り付ける。スターボードタックなのでバランスする風上側にセールの陰はない。そんな時、伊藤シェフは昼食に素麺をゆでるという。ギャレーは灼熱地獄だろうが、冷たい素麺の食感がなんとも食欲をそそる。清水はたっぷりあるので思いっきり水にさらした素麺にありついた。美味い、元気が出る。

漂流

何時風が落ち、かつ左にシフトするのか、とやきもきしながらいたが、一向に風は落ちず、シフトもあまり無い、ありがたい誤算だ。ポジションも夜半過ぎには御前崎灯台が後ろに見える位置まで進出した。追い潮も1kt前後ある。そして漸く風が落ち始めた。風向はSWから時にNWまで振れながら1~3ktの吹きにとどまり、全くセールがはらまない。付近には、同クラス艇が南北に分散して漂っていた。A2ジェネカーを張っているもののあまりにも不安定であるため、ジェネカーを諦めフライング・ジェノアに戻し、波の揺れに任せてバタン、バタンとセールをあおりながら風が来るのを待った。その時、潮は東流2.1kt、上手い具合に利島に向かって流れていた。

夜半には集団に追いつく
夜半には集団に追いつく

漂い始めて10時間、午前11時過ぎに南西から風が入って来た。一番南にいた艇が急速に近づいて来る、Dクラスのアフロスだ、北にいた艇団も利島を目指して上って来る。アフロスを除けば、その艇団の中で最も低いレーティングのテティスが勝っていることになるが、まだ先は長い、緊張を解くわけには行かない。

南風が入り始める
南風が入り始める

利島回航

リバティー、ミス・ニッポンに続いて午後3時頃利島を回航、AWA140°を目安にランニングを走る。これ以上落とすと途端に艇速が落ちるが、アフロスはステースルを上げた3枚張りで同じスピードで走りながら、われわれより5度は落として走っている。流石に一流の乗り手が乗り組む艇の走りは違うなあと感心して見ていた

利島回航時は修正で上位に着いた
利島回航時は修正で上位に着いた

相模湾に入れば、それなりのローカルナレッジがあり、自信をもってコースを引くが、ライバル艇を抑えることも忘れてはならない。風は更に強くなり20ktを超えるまでになって来た。この長年使い込んだA2は最後まで持ってくれるだろうか、という思いが頭をよぎるが、セールチェンジの時間も惜しい、まあ大丈夫だろうと思うことにした。

江ノ島まであと6マイル、フィニッシュ1時間前コールを入れようとした矢先にボンッ!という音とともに急ブレーキがかかった、A2のピークパッチのシームが起点でバーストし、ラフテープ、リーチテープに沿って破れてしまった。あと残りわずかな行程ではあったが、予想していたおかげで、直ちによりタフなA3を上げ直し、少しでもタイムロスを減らそうと懸命にトリムした。

テキスト ボックス: 
バーストしても何とか追いついた
バーストしても何とか追いついた

江ノ島は久しぶりの夜間フィニッシュとなった。手前の定置網を避けながら入って行くためナビゲーターはプロッターと首っ引きで艇を誘導する。デッキ上では陸上の明かりの中に埋もれているフィニッシュマークを探そうと躍起になっている。先にフィニッシュした艇のスターンランプ、運営艇の航海灯、街の明かり・・・様々な灯火が重なって探しにくい事甚だしい。プロッターを頼りにフィニッシュラインを横切る、29日20時56分フィニッシュ。ジェネカー・バーストというトラブルがあったものの先行艇との差を詰めてのフィニッシュだ。

成績は、ほぼリアルタイムで更新されるTracTracのリーダーボードで確認できた。相模湾に入れば陸の電波が入る、走りながらリーダーボードを確認できるのは、良い成績の時はなんともありがたいツールだが、その逆となれば罪な存在かもしれない。

何とかクラス優勝は出来たようだ。ORCも他艇の時間を確認した結果、昨年に引き続き連覇できた様だった。

江ノ島にはコロナ罹患で乗艇できなくなった池田さんが差し入れ(アイスとスイカ)を抱えて待っていてくれた。

テキスト ボックス: 
アイスクリームでフィニッシュを祝う
乾杯のビールはこの後で・・
アイスクリームでフィニッシュを祝う 乾杯のビールはこの後で・・

そしてホームポート小網代に向かう中、ここで初めて私以外のメンバーはビールで祝杯を挙げることができた。

最後に改めて、回航メンバー、レースメンバー、運営スタッフの皆様、そして何より「熱く・・」「暑く・・」一緒に競っていただいたライバル艇各位にお礼を申し上げます。

2年連続のORC杯
2年連続のORC杯

第64回パールレース成績(公式)

第63回パールレース結果とORCクラス優勝のThetis 4の喜びの声

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