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2024-01-27

小笠原レース「船上のリアル」Part 2

※このブログは、Sailor 北田浩の道のり/Le Chemin d’ Hiroshi Kitadaで公開したシリーズを三部作にまとめたものです。吉富愛氏と宇田川真乃氏のJOSA Ocean Boot Campを同乗した北田の視点からお届けします。

前回(Part 1)から続く


文:北田浩氏

第六話「フィニッシュ」

ヘッドセールは既にソレントからステイセルにかえていた。ソレントはLa Route du Rhum2018でリーチを大破して修理したもので長くは使えないと思っていた。またステイセルもThe Transat2016からの物で同じようにリーチ大破歴のある手負いのセールだから本当はストームジブに交換したかった。セールチェンジロスとめんどくさかったので、行けー

あれっ? MAX35ノットの予報では?

いつものことだが想定外の45ノット

波高5メートルもチラリ

あ〜

ワンセイルの大澤くんと新しいステイセルを作る相談してたんだけど作っとけばよかったな〜

手遅れである。

まあ仕方がないな、行くだけっしょ〜

吉富の恐怖心を和らげてやろうとRDRでの嵐の夜の話しをしてやった。

今夜もデビルマンが現れなかったねと(笑い)

デッカい横波をすり抜けた

おおおー

未だかつて無いほどのヒールだった。

ひっくり返らないね〜

青波がドバッとキャノピー越しに流れる。

滝壺の内側にいるような状態だ。

船は大丈夫だからと笑って安心させた。

きっとパフォーマンスクルーザーならコテッとノックダウンしてもおかしく無い。

真っ暗闇の中、走るよ・走るよ〜

まるでビックサンダーマウンテンが永遠に続くように。

TWA 90-100の風軸がずっと続いた

艇速は17knotは出ていた

風があと15度後ろなら20ノットは越えただろう

勝敗はここからの愛ちゃんのド根性で決まったようなもの、進路は小笠原まっしぐらスプリントだ。

しかし平均パフォーマンスは75%チョイかな。

class40レースなら限りなくビリだな。

レース前に二人に科したこと

オーパイは基本使用禁止

ファーストフォームしなければフィニッシュライン前でUターンして戻るぞ!

最後のアプローチ

フィニッシュライン方向から風が来る

近寄らないフィニッシュライン

吉富と二人でタックタックタック

遂にフィニッシュラインを切った!

この時宇田川は外洋の洗礼を受けたのか船内でマグロだった。

さあ夜間の入港と着岸だ

3月に小笠原に視察に来た際に泊地の下見にきていたが初めての港への夜間入港は緊張する。

吉富は心強い船乗りお嬢さんであった。颯爽とバウに立ってサーチライトで照明設備が付いて無い本船係留ブイとの衝突を回避しながら入港する。もうすぐ着岸!

ようやく宇田川がピットに顔を出しヨタヨタしながらフェンダーと舫の準備を始めた。

陸酔いで立ち上がれなくなった宇田川
無事ファーストホーム。お疲れ様でした。
無事ファーストホーム。お疲れ様でした。

第七話 「予期せぬお迎え」

石川レース委員長撮影

レース委員会のメンバーは全員でのお迎えであった。

そしてそこには島の人々が出迎えてくれていた。

このレースを楽しみにしている島民が多数いるのだと改めて実感した。

鈴木保夫さんから手渡された冷えたビールとシャンパンはメチャ嬉しかった。

私達3人は全員船内泊の予定であったが、鈴木保夫さんの計らいでお嬢さん2人の宿を確保して頂けた。

宇田川は船酔い&初めての陸酔いなのだろう、レース委員会のメンバーに支えられて先に吉富と共に宿に移動した。

何か食べたいとの事らしく船内にあるドライフードとかリンゴを宿に届けてやった。

有り難いことに私もシャワーを貸して頂いた。(吉富の入浴の後だったが。笑い〜)

鈴木さんは用意周到に色んな準備をして迎えてくれたのだ。

この夜私は1人で船内泊をした。

貴帆の係留にはあまり適していない岸壁で干満による影響を観察しながら冷えたビールで朝まで過ごした。

朝にはザックリと船内の片付けと点検を終えていた。

宇田川はセールバックにも嘔吐していたようで、自分で洗浄させるべく船内から引き出してピットに置いた。

ポートのラダーにスピンシートが絡んで引いても抜けてこない。いつから??

フィニッシュ時に迎えてくれたひとりの関さん(私の友人で岩間さんの親友とのことで後になってわかった地元漁組の副組合長)が早朝から潜水作業して解いてくれた。嵐の中で酷いパンチングを繰り返し今まで聞いた事の無い嫌な音がしていたのでボトムの点検もしてもらった。バウに縦の筋が見えるらしい。船底塗装をして船台のパッドにあげておいた時についた塗装ムラだと思うが、浮沈構造体の真下で漏水も確認出来ないので上架点検しないと判断が出来ない。小笠原から浦賀迄の帰りのキャンプへの不安は残った。

そう回航では無いのだ、彼女らのオフショアコースの卒検キャンプなのだ。

彼女らは音と振動には無頓着すぎるのが気になっていた。

もう一つ大事には至らなかったが深刻な問題があった。レース中盤でまだ吹き上がる前の出来事であったが、あえて煙幕事象と呼ぶことにしよう。エンジンブロアー由来の火災未遂が発生していた。ロールコールでは報告済みであったが2人に心配させないように大きな問題では無いという事にしておいた。実は重大インシデント寸前の事象が発生していた。

貴帆のエンジンルームには建造当時からブロアモーターが設置されていなく、レース中の充電でオーバーヒート気味になる事からフランスから連れ出す直前にブロア設置工事をしていた。給気口も排気口もピット内キャノピー下にある椅子の横に左右設置されている。事前に説明をしていなかったのだが、吉富がオフで休んでいる際にポート側の給気口をカッパで塞いでしまっていたのだった。ヘアドライヤーの給気を手で塞げば過負荷加熱で燃えるのと同じ現象が起きてしまった。

何か焦げ臭い感じがしたが吉富も宇田川も気付かずエンジンを回し充電していた。怪しいと思いBOXの蓋を開けたところモクモクと煙が広がり配線が燃えている気配を感じたのでBOXを閉じ窒息消火状態を作ったのだ。消火器を使うかどうかの判断は微妙だった。幸いブロア系の配線の被覆のみ燃えて鎮火したようだったが…

しばらくすると裸になった配線が振動でショートしてブロアが回り出していた。動作スイッチを切っても止まらない。急遽ニッパで裸配線を切断し止めた。

ボックス内の煙が治った後に開けて点検してみると同じ配線ルートで走っている航海計器のディスプレイの配線とセカンドGPSヘッドの配線の外皮が焦げている。これは動作に支障は無さそうだが全交換が必要な状態。フランスに送って修理してもらう他に方法はないな。オルタネーターに熱が回ったような痕跡がある。エンジン回転計があるBOXに延びている多心線のハーネスは辛うじて生きているが全交換必要。エンジンは始動する事ができたので入港着岸は可能だが発電量が20アンペアまでしか上がらない。コイルが溶けかかっているのかな?ボルトメーターの動きも怪しいから配線かメーターがイカれたか?

カテゴリ2のエマージェンシー海水ポンプ用のソケットに電流が来ていない。配線溶融とヒューズが切れている。バッテリーに直結すればポンプは動くから有事には使えるのだが。

スタート前にインペラーを交換したのだが水の出がおかしい。フランスで備蓄4年物だったから固くなっていたのか?

数々の損傷の状況に目眩がした。

小笠原でしかも連休に入る直前でエンジン屋、電気屋が捕まるのか?

関さんが人脈を駆使して業者さんをかき集めてくれた。完全復旧は部品も揃わない事から不可能ではあったが、焼けた配線は仮配線で全て張り替えた。切れたフランス製のヒューズは似たような物を車から発掘してきてもらった。やはりオルタネーターも被害があったのか発電量は低い。

通常は50アンペア以上の発電が可能なのだがとりあえず20アンペアほど発電しているようだ。(浦賀に戻り点検したところ残念ながら継続使用は困難という事で新品交換となった)幸い貴帆にはハイドロジェネレータという水力発電機を積んであるので帰路の充電問題は何とかなりそうだった。

ここまでの突貫復旧工事で張り替えた焦げた配線はプラスチモの青バケツで半分もあった。

焦げた配線
焦げた配線
配線取り替え後
配線取り替え後

重ね重ね関さんへの感謝と献身的な島の技術者へ敬意を表するものです。

果たして2人のお嬢さんは事の深刻さについて理解していたのかな?

東京に戻ったらいつか話してみたいと思う。

あ、小笠原も東京か?

関さんご夫妻と
関さんご夫妻と

第八話「遡ってレース前」

レース前の出来事を話しておこう

本格的な外洋レースが初めての2人にはインスペクション、OSR、医療材料、飲食料、搭載品等々、初めての体験が多かったと思う。

準備は出来るだけ2人に関わってもらい折角の機会をより有意義に学習してもらいたいと思ったので説明するのが面倒だなと思いながらも細かいことも出来るだけ作業してもらうよう仕向けた。

私は船内に2度ほど泊まり込みオーバーナイトのシュミレーションをしながら必要なものを2年ぶりのレースにむけて備えた。

吉富は長期休暇中であるが大阪在住であったので、航海士という事もありドラフト3メートルの貴帆に万一緊急入港が必要になった場合の避難港をピックアップするように命じた。彼女にとっては簡単な事だろうと思ってはいたが万一準備出来ていなければと思い、また艇長会議でのセキュリティブリーフィングでも各艇に説明するやもしれないと思い鈴木保夫さんに相談して準備をしていた。

宇田川には吉富が参加出来ないような作業や買い物を手伝ってもらって準備を進めていた。彼女は買い物の段取りが凄く良いのだ。しかしその後に何とも言い難い光景を目にする事になった。

フランスから貴帆を運ぶ際にロリアンのベースキャンプを引き払い、そこに保管していた予備品類を貴帆に詰め込めるだけ積み込んできた荷物からネジ一個、スパナ一本までもこのレースには不要な物を徹底的に下ろしていた。

出港前日に最後の点検でバウの水密区画からスターンのエスケープハッチに至るまで全て点検し、既に積み込んでいる私物の着替え類のボリューム感まで確認した。

スターンのエスケープハッチに向かう水密ハッチをクローズしようとした際に見慣れない黒く細長い布製のケースのような物が目に入った?

なんだっけな?

ケースの口を開けてびっくり玉手箱、なんと釣竿発見!

真乃だな?

スタートの朝に再度私物の量を確認したところやけに重い黒いバックがあった。リール類の釣り道具?

自称アングラーというほどに釣り好きな事は聞いていたが、私は何日も時間をかけて荷物を下ろし軽量化を進めていたのに絶句!

まあ良いレースが出来たとしたらおまけで許してやろうか…

釣りに行きたいとは言っていたが機材レンタルで岸壁釣りか磯釣りくらいかと思っていたが、釣船まで予約済みとか・・・・

フィニッシュ後に鈴木保夫さんに溢したところ、良く許しましたねと言われ苦笑以外に返す言葉が無かった。船を浦賀に戻すまでが今回のミッションであるのは周知のこと、帰路の貴帆に乗ることができないとか、何らかの事情で私までも身動きできなくなる可能性もあるわけだから、そこを鈴木さんは考えての言葉であった事は容易にわかる。しかも吉富を誘って二人で行くというからたまげた。

釣果は良かったらしいが、関さん(漁組副組合長)に魚の引き取り先まで相談すると言う思考回路には火星人と言われる私も真っ青になってしまった。

今後のOcean Boot Campからは釣りのメニューは入れないようにしよう。

また釣りの次は島内をドライブするとかで・・・・気をつけていってらっしゃい。

浦賀ヴェラシスに帰るまでは忍の一字に徹することしか方法が思いつかなかった。

当初小笠原滞在中は全員船内泊をするとの事であったので遊びに行く体力が戻ったのなら船泊しましょうかの一言が欲しかったな。

私は昭和の小姑か?

ウエザーギアについて

さすがに24、25歳のお嬢さんに高価なカッパを持参しろとは酷なのでそこそこ使えるであろう代物を準備して貸与する事にした。後に続くcamperも使えるだろうと考えた。なんとそのカッパを着て釣りに行ってたとさ〜

靴は高価ななんちゃらOceanブーツなどでなくともせめて長靴くらい準備するだろうと特に指示はしなかったのだが、ワークマンのハーフブーツを持ってきた。2人ともである。ワークマンが悪いと言っているのでは無い、実際初期の貴帆メンバーは食品加工場で使うソールが生ゴムの白い長靴を使っていた時期もあった。

これではトラウザーの裾をダクトテープで巻き付けなきゃ海水入るだろうに舐めてない?

いやいやディンギー乗りは濡れ足でも平気なのかもしれないと自身に言い聞かせた。

そう言えば、その高価なカッパを着て船釣りに行ったらしい。どうもレース中に尻から染み込みがあったと後に報告があった。

その後そのカッパの購入先に該当するカッパを送り返したが未だ何の対応もない。

マイペースなお嬢さん二人
マイペースなお嬢さん二人

第九話「電池の話し」

レース中、私自身の電池(体力)は残しておく必要があった。Jeanからはよくセーブエナジーと指導されてきた。出来るだけ余計な動きをしないように。

今回はSoloでは無いがいつお嬢さんらの電池が切れるか未知数であった事と、万一の際は誰にも頼らず復旧もしくは、お嬢さんらを守って帰らなければいけない。

いくら基本女子2名のダブルハンドとはいえ最後まで2人きりでレーシングモード全開で走り切れるとは思っていなかった。

小笠原から浦賀迄の復路が少し心配になってきた。

本音を言えば私は後二、三日小笠原で充電したかったのだが、お嬢さんらは何か予定があるらしい雰囲気だったので5月3日には浦賀帰港でルーティングを検討した。

気象予報を見る限りでは表彰式翌日29日の出港を見合わせれば次は5月2日頃になりそうな感じだった。

復路はレースでは無いが、往路のレースの状況からみて誰かもう1人助っ人が欲しかった。

とにかくメインのリーフやタックジャイブでひたすら笑顔でウインチを回してくれるような助っ人が欲しかった。

余談だが貴帆は罵声を浴びせることを禁じて船内の随所にスマイルマークのステッカーを貼っている。大きな声は歓迎するが罵倒する事は厳禁なのだ。

テティス、ゼロ、ビターエンドと完走したチームにそろりそろりとアプローチするも既に動きが決まっているようだ。特にゼロはエンジンが壊れてそれどころではなく長期戦になりそうだとの事、山田オーナーは広島からお好み焼きセットを送らせ小笠原で屋台を開き資金を稼いでエンジンを修理して帰るのだとか(たまげた)

弥勒の重野さんに声を掛けたところ、一緒にサバトレを受けた若井さんが小笠原丸で帰る予定だが貴帆に乗って帰っても良いということらしい。

若井さんは私と同年代で口達者なのはサバトレで確認済みであったが、肝心のウインチを回してくれる電池が残っているのか?そして何より初対面のお嬢さんらがお父さんがもう1人増える事を承諾してくれるかだが?流石に自分らの仕事が減らせるとなればオッチャンの増員など問題無いらしく快諾となり助っ人ウインチマンが確定した。

復路に乗ってくれた弥勒IIの若井さん
復路に乗ってくれた弥勒IIの若井さん(右側)

私の電池温存計画も上手くいきそうだ。

帰路の気象予報では微風も予想されたので機走巡航で5.5ノット程の貴帆であるが帆走で3ノットでのたうち回るよりマシと満タン60リットルタンクの他にポリタン18リットルを積む事にしたのだが、結局の所東京湾入り口までは全て帆走で帰ることができた。

第十話「いろいろ」

体験乗船会

島の子供たちを乗せる体験乗船会を予定していたが、海保の指導で中止になった。予め3月の訪問で前回同様にと申し合わせていたのだが、どうやら春の転勤などで申し送りが上手く行っていなかったのか?

急遽艇の見学会へと変更となった。

貴帆にも結構な数の見学者が訪れた。

フランスでの活動中に貴帆を訪れた老若男女へのプレゼント用に作っていた貴帆グッズを積んでいた。貴帆JORA(当時はJOSAではなくJORAとして設立活動していた)缶バッジはあっという間に無くなってしまい、貴帆ステッカーを持ち合わせていたので切り替えた。あと数枚で無くなってしまうところであった。引率の先生には一冊積んでいた「光跡」を進呈、生徒で読み回し感想文を書いてもらうのだとか。日本でもこのようなふれあいの時間を作ることはとても大切な事だと改めて実感した。

絵の才能

小笠原ヨットクラブから寄港記念に寄せ書きをしてもらっているとの事でノートを渡された。

宇田川に宜しくねと任せる事にした。

大方出来上がったと、あとは吉富と私に一言書いてと見せてもらったノートにびっくり仰天!

©️宇田川真乃
©️宇田川真乃

なんじゃこりゃ〜

絵の才能が凄い!

聞くところによると美術の授業ではいつも成績が良かったらしい。貴帆がイキイキと描かれていた。忖度無しで感動した。


第11話に続く

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