テティス4パラオ脱出記(後編)
こんにちは。2019年末から2020年初にかけて横浜港からパラオ共和国への第1回日本-パラオ親善ヨットレースで見事総合優勝を飾られたテティス4のオーナーでJORA理事の児玉氏からレポートの後編です。なんとかパラオを脱出後、次の難関は日本入国のための手続きでした。コロナウイルスの世界的な感染拡大で予測が立たない中、無事帰国された状況をお楽しみください。
前編はこちら→「テティス4パラオ脱出記(前編)」
文:テティス4 児玉萬平氏
一方、日本への帰国も課題が山積、フィリピン、香港に向かう準備を変更して日本国内への入国書類や手続きを大慌てで進めた。併せてコロナによる入国制限や2週間の足止めの有無も話題に上っていて、その確認に追われた。
そうでなくても海外から日本国内に入るときは・・
・入国管理局:乗員リスト、資格変更届、入出港届、入港通報
・税関:乗員リスト、資格変更届、入出港届、乗員携行品申告書、船用品申告書
・海上保安庁:乗員リスト、保安情報(1~4)
・検疫署:乗員リスト、出入港届、無線検疫申告書、無線検疫送達書、明告書
・石垣市港湾課:入出港届、岸壁使用願い
など少なくとも24枚の書類を用意しないといけない。
加えて、艇に備えておくものとしては国籍証明、船検証、操縦士免許、パスポートも必要だ。
上記の書類のほとんどは事前にそれぞれの役所にFAXで送っておくことになるが、一番大変なのは無線検疫送達書だ。これは入港予定時刻36時間前にFAXで送達することになるのだが、本船ならともかく、ヨットで時間きっかりに入港しろというのは土台無理な要求だ。そこで衛星携帯電話で陸上の連絡担当者と随時すり合わせ入港予定時刻のアップデートをしていき、まあまあ行けそうだと思ったときに連絡担当者から予め用意してあったFAX原稿を流してもらう。今回はなぜか、申告した入港予定時刻3月11日午前9時に寸分たがわず到着することができた。
石垣港入港と同時に、保安庁、税関合わせて6人程が乗り込んできた。こちらはコロナでどのような扱いを受けるか相当身構えていたが・・入国管理官も検疫官も現れない。一方で乗り組んできた保安庁職員の関心の的は麻薬、艇内くまなくチェックが入る。そうか、ここは中国・台湾からの覚せい剤密輸の拠点なのだと納得。石垣港はまた尖閣列島防衛のための大型巡視船の基地になっている。これだけの巡視船が交代で尖閣の海に出かけているのか、と頭が下がる。
何時まで経っても入国管理官も検疫官も来ないので電話をすると、事務所まで来いとのこと、クルー全員で出かけていって入管でパスポートの照合を受ける。検疫署の方は一枚の書類を用意してあって署名しろという。エボラ出血熱の感染は無いという宣誓書だった。
エボラかよ・・コロナでないんだ、と拍子抜け。
その後のニュースで石垣島には感染症専門のベッドが4床しかない、そのうち県外者が3床を占有し、島民向けには1床しか残っていない、県外者は入島するな!という悲痛な呼びかけが始まったと聞く。あの時はそんな雰囲気では全くなかった。そうでなかったら我々は白い目で見られていたろうと思う。
その後、「テティス4」は宜野湾で上架、キールの修理を行い、沖縄‐東海レースもキャンセルになったため、沖縄の自粛要請が終わった5月の最終週に宜野湾~小網代の最終行程を航しり、全ての自粛要請が解除された翌日6月1日に小網代に帰って来た。
今日現在、ともにレースを戦った僚艇のうち「ラッキーレディ」と「鴎翔」はフィリピンのスービックで留守番クルーとともに足止めを食っている。我々のすぐ後に沖縄に回航すると言っていた「トレッキー」と「アルタイル」は、パラオへの航空便が再開されるまでパラオの泊地のブイにつながれたままになっている。
「テティス4」はかろうじてシャッターが閉まる前にパラオを脱出、無事小網代に帰還を果たしたのだ。
テティス4が総合優勝を飾った「日本-パラオ親善ヨットレース参戦記」
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